人工知能とサザエさん

以前 自然から乖離する身体 でも触れましたが、フィットネス業界も今後ますます新たなデジタル技術が導入され、今のフィットネスとはまったく違った形に進化していくかもしれません。

最近耳にするのが ”オンラインパーソナルトレーニング”

自宅にいながらにしてパーソナルトレーナーの指導を受けられるというもの。webカメラやアプリなどを利用し、トレーナーの指導を自宅で受けられるというもの。

一方出張でパーソナルトレーニングを提供している人達もいます。 ”自宅でトレーニングが受けられる” サービスとして考えると、出張はアナログ、オンラインはそのデジタル版というところでしょうか。

出張の場合、サービスを提供する側が移動の時間的・金銭的コストを請け負います。(もちろん、利用料金に転嫁されるわけですが。)この移動のコストというのは、見えづらいですが相当なコストがかかると思います。

わざわざ出張でトレーニングを依頼する人はどんな人かと想像すると、自宅付近に施設がないとか交通の便が悪いとか、そういった人達が依頼するんじゃないかと思うんです。だとすると、移動時間という見えないコストはドンドン膨らんでしまうと思います。

出張という形態が商売として成り立つには、ある程度狭いエリアに需要が集中している必要があると思うのですが、現在のパーソナルトレーニング市場を考えるとまだまだ成立しにくいだろうと思います。(いわゆる富裕層ビジネスとしては成立するんだと思いますが・・・)

一方のオンラインとなると、この移動が必要なくなります。インターネットという  ”どこでもドア”  を使って、全国各地に擬似出張できるわけです。予約枠もかなり多く設定できます。なにせ移動しませんから。

見ず知らずの人間が自宅にやってくるというのは、日本人の感覚にはまだまだなじみづらいでしょうし、お互いにリスクがあります。(例えば、盗難等のトラブル)

それよりは、オンラインでトレーナーとトレーニングをする方が、お互いにストレスが少ないように感じます。

現状は、まだまだこうしたサービスを利用している人はごく一部でしょう。まだ成長段階なのか、はたまた・・・

個人的にはオンライントレーナーは成立しないんじゃないかと思っています。というより、もしこうしたサービスが主流になった後、どうなるか。

人工知能・ディープラーニング、そうした技術が人間の仕事を奪うといわれてます。

オンライントレーニングが主流になったとしたら、容易にコンピュータに仕事を奪われるだけだと思うんです。

自宅に3Dの仮想トレーナーが表れて、自分の動きをチェックして適切にアドバイスをくれる。生身の人間のように疲れもせず(システム上のトラブルを除いては)物を壊すとか盗むとか暴力を振るうとか、そんなトラブル・リスクも皆無です。

こんなにもインターネットが発達した時代にあっても、例えばビジネスで最終的な契約など重要な場面では必ず直接顔を合わすといいます。これはやはり、人間がまだ  ”動物的”  な感覚を残しているんだと思います。

動物はお互いの臭いを嗅いだりして、敵意がないことを確認したりします。人間も一度は直接会って、見える情報以外の ”何か” を確認しているんだと思うんです。

だから、やはりまだしばらくは生身の人間に軍配が上がると思います。いや上がって欲しい・・・かな。

フィットネス業界に限りませんが、目新しいモノというのは注目を浴びるのですが、やがて廃れます。(もちろん定番化していくものもあります。)

オシャレで斬新なNY発エクササイズとか、SF映画のようなテクノロジーを駆使した新しいサービス。

私にはこうしたものって、ジェットコースターのように展開がめまぐるしく変わるテレビドラマのように感じるんです。キャストも話題の俳優揃い、派手なプロモーションでワイドショーの話題になる。

しかし、一定期間でなくなる。

人間って常に新しくなり続け、複雑なものって習慣化しにくいんじゃないかと思います。

私たちの使命の一つって、フィットネス(運動)を習慣化してもらうことなんじゃないかと思うんです。

目新しいサービスをフィットネス業界も導入し続けていますが、これは本当に人々に  “運動を習慣化させる” ことにプラスなんだろうか?と疑問に思います。

近年、今まで運動しなかった人達に “運動を習慣化” させることに成功したのって、あのカーブスじゃないかと思うんです。

カーブス自体の存在は斬新でしたが、中身はどうでしょう。運動内容はいつも変わらず、それほどきつくなく、簡単な内容。

退屈しないのかな?と思うんですが、きっと逆なんだと思います。退屈ではなく、そこには “安心” があるんだと思います。

いきなり難しくなったりしない。いつもと同じ内容、いつもと同じメンバー。安心していられるから、続けられるんだと思います。

最短で効果を出す

正しいからだの使い方を教える

最高のカラダを作り上げる

そうしたメッセージはそこにはなく、指導者もいわゆる “ホンモノ” ではないかもしれない。けど、彼らは運動を習慣化させることに成功した。

ジェットコースタードラマではなく

サザエさんや水戸黄門のような長く愛されるもの

人間だからこそ提供できるもの

そんなフィットネス。新しくて古い。古くて新しい。そんな日本人にあった形があるんじゃないかと思っています。

お金について① 貰うと稼ぐ

恥ずかしいお話ですが、実は私にはいわゆる”社会人経験”というものがありません。(正確には正社員として雇用されたことがありません。)

一時期契約社員で固定給の時もありましたが、ほとんどが時給制のアルバイトで、30歳を過ぎても手取りが20万円いかないくらいでいした。フィットネスクラブでアルバイトを始めたときも当然時給制で、その金額はコンビニのアルバイトくらいでした。

たいてい、年に一度とか査定があります。自分の時給が上がるかどうかがかかっていますから、周りの同僚は一生懸命アピールしていました。私はというと・・・

『どうせちょっと上がっても税金も増えるし、所詮微々たるもんだよなぁ・・・』

なんて、思ってました。

単純にいうと、会社には人件費という枠(予算)があります。その人件費の枠を従業員の人数で割ると、一人当たりの金額が決まるんだと思うんです。で、その中で能力や貢献度などを査定し、金額に大小をつけるわけです。

ところがこの査定、上司が変われば基準が変わったりします。前まで評価されていた人が評価されなくなる。そんなことも見ていました。特別能力も高くなく、上司とうまく付き合うようなことも得意でなかった私はあまり評価されませんでした。

今思えば、自分勝手で周りとの協調性に欠ける自分は、会社という組織になじみづらく、評価が低かったのも当然でした。が、当時は今よりも更に子供で生意気だったので・・・

『上司の機嫌一つで俺の給料が決まるってなんだよ。しかも、所詮人件費の枠の中じゃないか。』

そんな風に思っていました。

パーソナルトレーナーとして活動を始めると、アルバイトの時給+トレーナーの歩合を給料として貰うようになりました。兼任トレーナーの場合、歩合はそれほど高くないのですが、アルバイトの時給だけの時とはだいぶ金額が変わりました。時給が50円とか100円とか上がるというのとはまったく違いました。

『そうか。時給なんて上がらなくても、自分で頑張って売り上げを上げればいいんだ。誰かが俺の給料を決めるんじゃない。俺が俺の給料を決めるんだ。』

当時すでに30歳を超えていました。

『正社員で勤めたこともない。なんの実績もない。こんな自分はどこの会社も雇ってくれない。仮に雇ってもらえてもたいした給料は貰えないだろう。俺はもう自分で稼ぐしかないんだ。』

人見知りであがり症。面接なんて受けても、何もしゃべれず終わり。当然不合格。もう、”雇ってもらう”ことはあきらめて自分で何とかしようと決めました。

やや乱暴な言い方ですが、”お金を貰う生き方” と ”お金を稼ぐ生き方” があるんだと気付きました。

臆病で安定志向の私ですから、商売を始めようと最初から思っていたわけではありませんでした。トレーナーになることが商売を始めることだというのも、トレーナー活動を始めてからようやくわかったくらいです。

そうしなければ、もう自分は生きていけない。

そんな思いで商売を始めました。商売の才能も能力もありません。ただ、もうそれしか生きる道がなかったんです。

花|ジム・スタジオが出来るまで⑤

薄暗く寒い自分のスタジオで、一人孤独と不安に耐える日々が続いていました。

今でこそ壁でも棚でもある程度は作れるようになりましたが、最初は写真のカウンター一つ作るのも徹夜作業でした。もともと手先はあまり器用じゃないんです。

来る日も来る日も深夜まで作業。家に戻って仮眠。また朝には自分のスタジオへ。そんな日々を送っていました。そしてある日、一本の電話が・・・

『融資決定しました。』

信用金庫さんからでした。ほっとして腰が抜けるなんて話には聞いたことがありましたが、まさにそれでした。ほっとしたあまり全身の力が抜けて床に座り込みました・・・これでなんとかオープンできる。

『とりあえず、一ヶ月頑張ろう。』

いつまでお店が持つかわからない、そんな心境だったのでオープンすることもあまり人には話していませんでした。

オープンの日・・・

シャッターを開け、お店の前を掃除し始めました。すると・・・大きな花を抱えた花屋のお兄さんがやってきました。『ん?』と見ていると、横には見覚えのある顔が。

『今日オープンなんでしょ?花がないと!』

フィットネスクラブで一緒に働いていたスタッフの子でした。

私よりずいぶん若い子でしたが、しっかりした子でした。花が飾られていることで人が 『あ、あのお店オープンしたのね。』 と注目してくれる。何より門出に花がなきゃ寂しい、と。

あまりに突然だったのでなんと言っていいのかもわからずじまいでしたが、本当に驚きました。そして、本当に嬉しかったです。

2011年11月1日 私の小さな店が生まれました。

ゴールとスタート③

『いいんだよ。やりながら覚えるんだよ。』

社員さんの少し強引な一言で、私はパーソナルトレーナーとしての活動をスタートさせました。

当時フィットネスクラブに所属しているパーソナルトレーナーは、大きく分けて二種類の活動形態がありました。

1)フリー=個人事業主としてフィットネスクラブと契約をして活動。売り上げの60~80%が自分の収入となるケースが多い。

2)アルバイト兼任=アルバイトスタッフとして雇用されながら、パーソナルトレーニングを提供。時給+歩合のケースなど、クラブによって変わる。

私は2)アルバイト兼任からスタートしました。

フリーの場合、トレーナーによっては週に一度しか私が所属していた店舗で活動していないとか、例えば午前中だけとか活動時間が短いトレーナーもありました。むしろ複数店舗で活動するトレーナーの方が普通でしたので、お客様によっては自分の担当トレーナーに一週間会えないということも珍しくなかったんです。

『〇〇トレーナー今日はいないよね?〇〇トレーナーにこの種目やるように言われたんだけど、どうやるんだっけ?』

アルバイトスタッフだった私は、よくお客様からそんな風に声を掛けられました。もともとトレーナーになるのが目標でアルバイトを始めた私でしたから、自分がわかる範囲でお客様にお伝えしていました。

『たぶんこうだと思うけど、次回また〇〇トレーナーに確認してくださいね。』

先輩トレーナーのフォローが出来るのも、トレーナーの仕事をちょっと擬似体験できるのも嬉しかったんです。

そして・・・『そうか、お客様からしたら、自分のトレーナーになかなか会えないのは不便なんだな。』そう気付きました。

アルバイトと兼任ながら、徐々にトレーナーとしての時間を増やしていった私は、なるべくお客様が迷わないようにトレーニングメニューを紙に書いてお渡ししたり、可能な限り店舗にいるようにしていました。

その時は意識していませんでしたが、この ”トレーニングメニュー表” は、お客様にとって大きな意味を持っているのを後に知りました。そしてそれは、いわゆる “口コミ” を起こしてくれるのだということも。

私のお客様がメニュー表を見ながらトレーニングをされていました。そこへお友達の方がやってきて・・・

『あら?何それ?』

『あ、これ?トレーナーさんが書いてくれたの。』

『へ~わかりやすくていいわねぇ。』

そんな会話をされてたんです。嬉しそうにメニュー表をお友達に見せてくださるお客様、それを興味津々で見ているお友達。ああ、そうか。

『お客様にとってメニュー表は大切なものなんだ。そして、それをお友達に見せてくださることで私がどんなトレーナーかそのお友達にも伝わるんだ。』

私の作った手書きのトレーニングメニュー表を、何年も大事に持っていてくださる方にお会いすることがあります。そんなに大切にしてもらえてるのかと思うと、本当に嬉しかったです。

徐々にお客様の数も増え、アルバイトスタッフとしての仕事が出来なくなっていきました。ついに私は、アルバイトをやめフリーになりました。個人事業主になるので税務署に開業届けを出しました。

個人事業主・・・

事業・・・

開業・・・

晴れてフリーのパーソナルトレーナーになり、一生懸命活動していたある日、ふと気付きました。

『これって、事業を始めたってことだ。』

パーソナルトレーナーに”なる”ことが目標でした。自分がそれを”ゴール”と思っていたことに気付きました。

『バカか、俺は。これはゴールじゃない。スタートだったんだ。』

そう、パーソナルトレーナーという ”商売” を始めたんだということに私はようやく気付いたんです。

『トレーナーになることだけを考えていた。トレーナーになるということは、大げさに言えば “健康産業” で起業するということじゃないか。』

トレーナーに “なる” ことだけを夢見て自分は上京してきました。つまり、トレーナーになることしか考えていなかったんです。商売を始めて、この先どう商売を展開していくか。そんなこと全く考えていませんでした。

『なんてバカなんだ・・・』

新たな苦悩が始まりました。

ゴールとスタート②

地元新潟で生まれ育ち、短大の二年間埼玉に出た以外はずっと新潟にいました。

よく海に行って、何をするでもなく海を眺めていました。

『お金がたまったら自分の店を出そう。』

マッサージの仕事をし始めた私は、そう考えていました。でも、気がつくと毎年同じ事を言っている自分に気付きました。

大好きな海を眺めながらある日思いました。

『俺はもうこの町なら、どの道を歩いたらどこへたどり着くのか全てわかる。でも、そろそろ知らない道を歩くときじゃないのか。』

臆病な自分。東京に出るということは、何かわからない恐れと憧れがありました。

『なにをくすぶってるんだ、俺は。』

自分にいらだち、嫌気が差し、ついに決心しました。

『東京じゃなきゃパーソナルトレーナーになれないなら、東京に行こう。』

そう決めて臨んだ養成。そこでもらったアルバイトの話。怖がってる場合じゃない。覚悟を決めました。

友人に手伝ってもらい、レンタカーに荷物を積み込み引越し。荷物と共にまったく知らない地にポツンと降ろされた最初の晩は、さすがに少しだけ心細かったです。

借りたアパートの近所にファミレスがありました。

『もしやばくなったら、また皿洗いでもしながら頑張ろう。』

養成の費用と引越しでほとんど貯金は使い果たしていた私は、そのファミレスの前を通る度にそんな風に思っていました。

フィットネスクラブでのアルバイトを始め、数ヶ月がたった頃、社員の方から 『いつトレーナーデビューする?』 と聞かれました。

養成は出たものの、どうしていいのかわからなかった私は、少しためらっていました。

『いいんだよ、早くデビューしちゃえ。やりながら覚えるんだよ。』

せっかく地元を飛び出して東京まで来たのに、またしても臆病風に吹かれていた自分。この社員さんの半ば強引な一言に助けられ、パーソナルトレーナー人生がスタートしました。