トレーナーとしての思い

ゴールとスタート①

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新潟から毎週末東京までパーソナルトレーナーの養成に通いました。雪の降る頃でした。

私は体育の短大を卒業したのですが、なにせもう20年以上前。その当時は”パーソナルトレーナー”なんて、まだ影も形もありませんでした。

当時トレーナーといえば、”アスレチックトレーナー”を示しました。チームに帯同し、テーピングやアイシングなどを行うのが主な役割でした。

短大で運動処方なんて科目を習うのですが、その時から ”運動を薬のように処方し、その人のからだをよい方向に導きたい” そんな風に漠然と思っていました。 なので、アスレチックトレーナーという職に憧れはするものの、どこかしっくりこなかったんです。

私のイメージに近い職といえば、当時では理学療法士さんでした。しかし、短大を出て更にもう4年間・・・自分の進む道が分からなくなりました。

卒業と同時に地元・新潟に戻り、少しの間アルバイト生活をしていました。当時はバブルがはじけて就職氷河期といわれはじめた時代。両親も ”早くちゃんと就職しろ!” という風に急かす事もありませんでした。

なんとなくやりたいことがはっきりしないまま、スポーツ用品店のアルバイトを始めました。シューズやスキー・スノーボード用品などなんでも扱う、いわゆる量販店というお店でした。

もともと、からだやスポーツには興味があったので仕事自体は楽しく、7年ほど勤めました。

しかし、長く勤めていくとある種の限界を感じるようになりました。あぁ、自分はこの仕事では “上” にいけないな、と。モヤモヤを抱えたまましばらく働いていました。

そんなある日・・・通っていたフィットネスクラブのスタッフの男の子と、トレーニングの合間に少し会話を交わしました。地元で唯一の体育系の専門学校の生徒さんでした。

『自分はパーソナルトレーナーになりたいんです。』

若く、キラキラした目で話してくれました。ん?パーソナルトレーナーって??私がその名前を聞いたのはその時が初めてでした。

『パーソナルトレーナーっていうのは・・・』

楽しそうに話してくれる彼の説明を聞きながら

『あぁ、ここに答えがあったのか。』

大げさなようですが、自分がずっと追い求めていた答えにようやく出会えた、そんな瞬間でした。

自宅に戻り、当時まだ今ほど発達していないインターネットであれこれ探しました。そして・・ “パーソナルトレーナー養成。5周年記念特別価格!” の文字を見つけました。その養成を開いている団体は、トレーナー養成の老舗ともいえるところでした。即決。すぐに申し込みました。

当時はスポーツ用品の販売と並行してマッサージの仕事を始めていました。いつか自分の店を持つために、更に夜中に居酒屋さんでもバイトしていました。

深夜のバイトを終えた次の日、朝イチの新幹線で東京に向かう・・・雪の新潟を出て、着いた東京は少し暖かく感じました。

養成も後半に入った頃、他の参加者の人とも顔見知りになっていました。あれこれ話すうちに “養成でたらどうするの?” なんて話に。そう、とりあえず発作的に飛び出してきたので、養成が終わってからどうやってトレーナーとして活動するかについてはまったく考えていませんでした。

実は、フィットネスクラブでのアルバイト経験すらなかったのです。今思えば、気持ちいいくらいの無計画(笑)

『あ、それなら・・・』

一緒に養成を受けていた方が提案してくださいました。

『うちの会社が新しく店舗を作るんだけど、たぶんまだスタッフ足りないから、よかったら紹介しましょうか?』

その方はフィットネスクラブの社員さんでした。

『本当ですか?!よろしくお願いします!』

実は、かなり田舎者で臆病者の私。生まれ育った新潟を出たのは短大の2年間だけ。”東京” というだけでなにかよく分からない恐れを感じていました。

しかし、新潟にいては “パーソナルトレーナーになる” という自分の夢はかなわない。

飛び出す覚悟をしました。

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