汚れ|ジム・スタジオが出来るまで⑦

今でもこの一番初めのスタジオの頃から通ってくださっているお客様があります。

『最初のスタジオが一番良かった!』といまだに言われたりします。嬉しいやら申し訳ないやら・・・笑

オープンしたばかりの頃は本当にお客様が少なく、来る日も来る日もただひたすら時間だけがあるような日々でした。

それが少しずつ、ほんの少しずつ、お客様がいらしてくださるようになりました。

初めのころは『パーソナルトレーニングなんてまだまだその辺で売ってても買ってもらえないだろう。』そう思い、ヨガやピラティスのレッスンを中心にしていました。

レッスンが終わるとフロアを掃除します。物もたいして置いていない小さいスタジオですから、毎回全体を隅々まで。

まだお客様が少ない頃でしたから、掃除を終えたフロアモップはたいして汚れていませんでした。

大きなフィットネスクラブなら、一度に何十人・何百人もの人が利用しています。一日にすると1000人近くの人が出入りしたりします。当然、汚れます。ある程度の汚れは致し方ないところもあるでしょう。

『小さいスタジオなんだから、掃除も簡単。それならお客様のために、なるべくきれいにしよう。』

そう思い、毎日毎日・・・鏡はいつでも曇り一つないくらいに磨き上げていました。

徐々にお客様も増え、あるイベントレッスンの時でした。

今までで一番大勢の方がレッスンにいらしてくださいました。いつものレッスンより動きも激しい内容。

イベントを終え、いつものように掃除をしました。フロアモップにはいつもの倍くらいのホコリが。

『あぁ・・・よかった。』

なぜか自然とそんな気持ちがわいてきました。

いつも掃除を終えてフロアモップを眺めるたび・・・

『汚れてないなぁ・・・仕方ないよね、お客さんまだ少ないし。』

少し寂しく思っていたんです。それが、今日はこんなにホコリが。

『成長したなぁ・・・』

我が子の成長を見る親のような気持ちでした。ああ、たくさんの人に来てもらえたんだ。ちょっと成長したんだなぁ・・・と。

汚れているということを、こんなに良い意味に感じたのは初めてでした。

『汚れてくれてありがとう。汚してくれてありがとう。』

自然と湧き出た自分のそんな思いが、自分でも少し奇妙に感じました。

灯り|ジム・スタジオが出来るまで⑥

お客様は『箱』につくもの。

マッサージや美容院など、指名・担当などがある仕事でよく言われます、お客様は箱つまり店についているんだと。

とかく、自分の担当しているお客様は自分についてきてくれているんだ、と思いがち。『きっとついてきてくれるだろう。』そう思って独立して痛い目を見た、という話はよく聞きます。

『ゼロから頑張ろう。』

そう覚悟してお店をオープンしました。そう覚悟していました。それでも・・・

一日誰とも話さない。一週間ほとんど仕事がない。

フィットネスクラブでは自分の担当しているお客様も多く、施設はいつも会員さんで賑やか。それが一変しました。少し薄暗い店内に、毎日一人ポツンと座っていました。

『どうしよう・・・』

こんなに自信を打ち砕かれたのは人生で初めてでした。フィットネスクラブ時代、セッション数は店舗でも1番か2番。それがこの有様。プライドなんてあっさりへし折られていました。

毎日色々な事を考えました。色々な事を試しました。まさに”命がけ”の気分でした。

そんなある日、フィットネスクラブ時代お世話になったお客様が遊びにいらしてくださいました。嬉しい反面、今の状況を知られるのは少し辛かったです。

開店のお祝いや近況をお話しているうちに、お客様がふと・・・

『誰も来ないですね。電話一つ鳴らない。』

心をえぐられるような一言でした。

『ええ、でも私はここにいます。ここにいるしかないんです。』

とっさに私の口から出た言葉に、お客様は驚かれたそうです。

のちにお聞きすると、フィットネスクラブ時代多くのお客様に囲まれていた私の印象しかなかったので、開店したお店もすぐにお客様で賑わっているのを予想されたのだそうです。ところが、あまりにさびしい状況を見て心配で思わずそうおっしゃったのだそうです。

あまりにさびしい状況。それなのに迷いもせず『ここにいるしかない』そう私が言い切ったことにびっくりしたそうです。もう逃げ場はない。ここで頑張るしかない。自信もプライドも無くしながら、それでも自分は覚悟していたんだと思います。

もし自分がこのお店からいなくなれば、お店に ”灯り” がともらない。暗く人もいない、そんなお店には誰も来ないだろう。そう思った自分はチラシさえ配りにいかず、ひたすら待ち続けました。

『誰かがお店の事を聞きたいとやってきてくれたのに、誰もいなかったら申し訳ない。』

ひたすら・・・ひたすら待っていました。

花|ジム・スタジオが出来るまで⑤

薄暗く寒い自分のスタジオで、一人孤独と不安に耐える日々が続いていました。

今でこそ壁でも棚でもある程度は作れるようになりましたが、最初は写真のカウンター一つ作るのも徹夜作業でした。もともと手先はあまり器用じゃないんです。

来る日も来る日も深夜まで作業。家に戻って仮眠。また朝には自分のスタジオへ。そんな日々を送っていました。そしてある日、一本の電話が・・・

『融資決定しました。』

信用金庫さんからでした。ほっとして腰が抜けるなんて話には聞いたことがありましたが、まさにそれでした。ほっとしたあまり全身の力が抜けて床に座り込みました・・・これでなんとかオープンできる。

『とりあえず、一ヶ月頑張ろう。』

いつまでお店が持つかわからない、そんな心境だったのでオープンすることもあまり人には話していませんでした。

オープンの日・・・

シャッターを開け、お店の前を掃除し始めました。すると・・・大きな花を抱えた花屋のお兄さんがやってきました。『ん?』と見ていると、横には見覚えのある顔が。

『今日オープンなんでしょ?花がないと!』

フィットネスクラブで一緒に働いていたスタッフの子でした。

私よりずいぶん若い子でしたが、しっかりした子でした。花が飾られていることで人が 『あ、あのお店オープンしたのね。』 と注目してくれる。何より門出に花がなきゃ寂しい、と。

あまりに突然だったのでなんと言っていいのかもわからずじまいでしたが、本当に驚きました。そして、本当に嬉しかったです。

2011年11月1日 私の小さな店が生まれました。

逃げ道|ジム・スタジオが出来るまで④

融資の審査結果を待ちながらも、スタジオの準備を続けていました。すでに一度融資を断られている身。祈るような気持ちで毎日を過ごしていました。

資金のめどがつかない。けれども必要なものは買わなければいけない。残り少ない資金から毎日必要な備品を買い揃えていました。100円使うのもためらう日々・・・ある日、買出しに向かったホームセンターでお腹がすき過ぎて目が回ってしまいました。

『安くてカロリーのあるもの・・・』

普段なら避けるであろうジャンクフードも、このときばかりは食べざるを得ない状況でした。

必死な毎日は続きました。そして、融資の結果より早く最初のスタジオの内装工事は終了しました。

審査を待っている間は提出した見積もりにあるものは購入できません。エアコンが買えないままでした。

内装工事は終わりましたが、まだまだ作業は山盛り・・・昼間フィットネスクラブでの業務を終え、夜に自分の店に行き作業。時には深夜3時過ぎまで作業し、一旦家に戻り朝の8時にはまた自分の店で作業を始めていたりしました。

エアコンのない店。9月の終わり頃でしたが、夜はかなり寒くなっていました。照明もまだ少なく薄暗いスタジオ。急場しのぎの電気ストーブにあたりながら、コンビニの200円のわびしいお弁当。それが更に半額になったものを一人食べていました。

ふと襲ってくる絶望感・・・裕福ではなかったけど、何不自由なく暮らしてきた自分にとって初めて感じる孤独と絶望でした。

『本当にこれで正しかったのか・・・』

そんな思いが込み上げてきました。逃げ出せるなら逃げ出したいと何度思ったことか。

『もう引き返せない。引き返す道なんてない。』

店をやると決めた時点から、フィットネスクラブでの活動を減らしていました。弱い自分。退路を断っておかないと簡単に逃げてしまうことは分かっていました。

マンションの一室で隠れ家的に、そんなやり方もあったでしょう。でも私は、一階路面店にこだわりました。それも逃げ道をなくすためでした。

どんなに不安だろうが絶望しようが、もう引き返す道はない。自分でそんな状況を作り出していました。逃げ出さないため・・・

今思えばたいしたことではなったのですが、その時は本当に追い詰められました。当たり前の順番を間違ったこと。しかし、今思えばもし間違っていなかったら、逆に店はオープンしていなかったでしょう。

『お金借りられなかったからしょうがない。』

自分が逃げる”言い訳”を得て、あきらめてしまっていたでしょう。

薄暗く寒い自分のスタジオで、一人孤独と不安に耐えながらわびしい弁当を食べた経験は、自分に色々なことを教えてくれました。あの経験がなかったら今の自分はない。ないです。

間違い | ジムスタジオが出来るまで③

何度も打ち合わせを繰り返しようやく内装が決定しました。内装費の見積もりを頂いて、私は政策金融公庫へ事業計画書を持って融資の申し込みに向かいました。

ここで間違ってしまいました。結構やってしまう方もあるそうですが、私もやってしまいました・・・

まったく初めて作り始めた自分のお店。まさに右も左も分からない状態。不動産屋さんは急かすし、内装も早く着工したい・・・そう、融資の結果を待たず契約してしまったのです。

内装業者さんにもそうした状況はお話していたのですが、お互い焦っていたのでしょう。気付かずに契約してしまいました。

1ヵ月後くらいだったでしょうか、公庫から電話が入りました。

”今回は残念ながら・・・”

目の前が真っ暗になりました。どうしたら?!工事は進んでいました。手持ちの資金は物件の契約料に支払ってしまっていたので、残金はわずか。

”あと半月で200万円を作らなければ・・・”

生まれて初めて眠れない夜でした。あと半月で・・・両親から借りるなんてことも出来ません。夜中バイトしてどうにかなるような話じゃない。一人ベッドで嫌な汗をかきました。

翌日、個人事業を長く営んでいる方に相談してみました。

”大丈夫だよ~お金貸してくれるとこなんていっぱいあるよ~”

何だそうなのか。。。少しだけ希望が見えました。教えてもらったテクノプラザへ向かいました。しかし・・・融資制度は受けられないと言われてしまいました。(実はこのときは気付いていなかったのですが、融資そのものを受けられないのではなく、融資にかかる保証料を免除してくれる制度が受けられないということでした。)

再び絶望。振り出しに戻りました。どこへ向かったらいいのか分からないままバイクを走らせました。暑い夏の日でした。

当時は松戸に住んでいましたので、松戸の市役所の方へ向かいました。何か情報があるかも・・・と。色々見ているうちに、ん?待てよ?俺、勘違いしてるな。

初めてのことでしたし、かなり焦っていたので冷静に考えることが出来ていませんでした。ようやく気付きました。

”さっきの話は保証料を優遇してくれる制度が申し込めないだけで、融資そのものの話じゃないんじゃないか?”

ようやく勘違いに気付きました。すぐに松戸の信用保証協会の窓口を調べ、とにかく話だけでもと転がり込みました。

後日正式に申し込み、審査が始まりました。審査結果が出るまで1ヶ月ほど。本当に不安な毎日でした。その間も工事は進んでいました。

 

ある日、仕事を終え内装工事が進んでいく自分のお店を見に行きました。現場では夜遅くまで、大工さんたちが一生懸命作業をしてくださっていました。

”ありがとうございます。少し見させていただいてもよろしいですか?”

大工さんたちにお願いして、しばし現場を見させてもらいました。初めて間近で見る大工さんたちの仕事。イメージ通りに出来上がっていく自分のお店。

”果たしてオープン出来るのかな。いっそここで中止した方が・・・”

不安から弱気になっていました。手際よく作業する大工さんたち。その様子を見ているうちに・・・

”ばかか、俺は。俺があきらめてどうするんだ。”

 

そんな気持ちがわいてきました。仕事だから当たり前と言えば当たり前ですが、見ず知らずの自分の店を一生懸命大工さんたちが作ってくれている。それなのに・・・

ポケットにお客様から頂いた、マクドナルドのカードがありました。融資を待っている身。100円使うのもためらうような日々。もしものために使わずに取っておいたのですが、すぐ近くのマクドナルドに向かい大工さんたちに差し入れを買いました。

”こんなことぐらいしか出来ず申し訳ない・・・”

情けない気持ちになりながら、大工さんに手渡すと

”おお~ありがとう。あとで頂くよ~”

そのお顔を拝見して勇気が湧きました。例え一日でもオープンさせよう!大工さんたちの苦労に報いるためにも。

今の自分に出来ることを精一杯やろう。そう決めて現場を後にしました。

お店が出来上がったのは、少し肌寒くなった頃でした。